結局のところシンドバッドがそれを選んだからこそその「偶然」が起こることになったのだからある意味では偶然とは言えないのかもしれないが、しかし羽根ぼうきの一触れのような「偶然」は何かを引き起こしたりはしなかったので、やはりそれはただ寄る辺ない海の上を船が巡り会ってすれ違っていくだけのことだったのだろう。シンドバッドはこのことを誰にも話したことがないし、ことさら思い出したりすることもない。ジュダルの方もこんなささいな、楽しくもないこと、もう忘れているだろう。
シャルルカンとピスティを同行させる、と言ったとき、ジャーファルの目に最大級の不審の色が浮かんだ。もちろん予想はしていた。前にこの二人をともなって外遊をしたときは帰る途中で立ち寄った港町で金を使い果たして一文無しになるまで遊びほうけ、身につけているものや金属器やらを売り飛ばさないと帰国することすらできない事態になったからだ。そのときは結局本国に連絡をし役人が駆けつけてきてことなきを得たのだが、三人まとめて正座させられてジャーファルに怒られた。
なのでジャーファルでなくともまたあのときの二の舞になると思うだろう。しかもそれは一年も前のことではない。せめてシャルルカンではなくスパルトスかマスルールになさってください、と素っ気ない低い声で脅すように言われ、シンドバッドは前もって考えてあった言い訳を並べた。スパルトスは商戦警護の任務で海上にいるからまたふた月は帰らないだろうし、友好国の式典に出席するために行くのだからマスルールのような威圧的なのがいると警戒しているのかと思われてしまう、などという三秒で論破されそうな言い訳を聞いて、意外にもジャーファルは「仕方ありませんね」とため息をついた。
「ただし条件があります。金銭は私の名代として同行させる政務官に管理させること。寄港地の歓楽街には立ち寄らないと。監視させますのでご注意なさってください。さらに」
ジャーファルは咳払いをし、シンドバッドをまじめな顔で見回した。
「今回は商船の中の一室を使っていただきます。少々狭いですがこれならどこかにふらっと寄り道することもできませんから」
「おいおい」
一国の長が貨物と一緒に押し込められることなど聞いたことがない。シンドバッド自身は王族のためにあつらえた豪奢な船など堅苦しくて仕方ないと感じるたちだが、ジャーファルはいつも「王としての自覚を持て」と説教してくるではないか、と不思議に思った。
「進物や役人たちはどうする。すでに貨物を積んだ商船には乗り切らんだろう」
「ご心配なく。シンドリア王の旗を掲げた船をあなたが乗船される商船の後ろにぴったりくっつけておきますよ」
「なのに俺には商船に乗れっていうのか。ひどいんじゃないか」
「これはおかしなことを。いつも言っているではありませんか。『あーつまらん、客船じゃなきゃ偶然の出会いもないもんなあ』と」
ジャーファルは相当怒っていたのだろう。がっくりと肩を落としたシンドバッドを見て噴き出して「冗談ですよ」と謝ったのちにさっきの条件を撤回することもなく、本当にそうさせた。シンドリアの国旗とシンドバッド王が乗船していることを示す王の旗が日光を受けて光り輝く朝、人々に囲まれながら誰もがその威容に息を呑む軍船にシンドバッドが乗船したかに思わせた。しかしシンドリア本島が見えなくなる前にさっさと小船を出されて移動させられ、狭い客室に三人まとめて押し込められ、とはいえ完全に自業自得なので怒ることも嘆くこともできず、三人ともわりとずっと寝ていた。その「偶然」が起こる日までは。
最初の寄港地で漕ぎ手の交代と物資の積み込みをしている間、監視の目をかいくぐって歓楽街へ繰り出そうと思ったが金がなかったのでできなかった。ジャーファルに知られないようにこっそりと遊びの計画を立ててきた三人だったが金がなければどうにもできない。抜け目なくいい仲の高官をともなってきたピスティはともかく、シャルルカンは上陸しても遊べないと分かると次第に修行僧のような顔になってきた。元はまじめな男だから、環境が変わると元に戻ってしまうのかもしれない。シンドバッドは急に王と八人将を乗せることになって極度の緊張状態にある船長や船員たちになけなしの金を使って酒をふるまってねぎらいながら、ひたすら出港を待っていた。
商船なのでさまざまな物、さまざまな人が乗り込んでくる。大陸の近くまでくれば定期航路は静かで、南海生物はもちろんいないし波すら穏やかだから物の行き来も活発になる。シンドバッドが乗船していることは船員以外には決して知らせていないが、乗り込んでくる商人たちや貨物のチェックは厳しく行った。だからまさか、こんな偶然が起こるとは思わなかったのだ。
港を出て最初の夜、海にはほとんど波がなく水面はまるであぶらのようだった。風は生ぬるく、音さえなかった。月と星が異常なほど輝いているのが不気味だった。ピスティはほとんど部屋に帰ってこないので、出会った頃のような顔をしてひたすら剣を磨き続けるシャルルカンだけが一緒だった。シンドバッドは肩を落としているシャルルカン向かって猛烈に下品な冗談を飛ばして気分を変えさせてやろうと努力していたが、何となくという感じで外へ出た。
ジャーファルはシンドバッドの安全にはじゅうぶんに心を砕いてくれているらしく、そこらに警護の人間がやたらにいる。それ自体はありがたいのだがさすがに窮屈だった。狭い船室に仲間と一緒に押し込められていること自体は冒険者だった頃を思い出すからそう悪い気分ではないが、これでは普段と変わらない。しかし元には戻れないのだろう。シンドバッド王、という服は一生脱ぎ捨てることができないのだ。シンドバッドは甲板へ出て湿った風に当たりながら、星の光を反射し続ける凪いだ海を眺めていた。
そして「偶然」は女の服を着て現れた。ふと気がつくと、少し離れたところに女が立っていた。喪中なのか趣味なのか、真っ黒なドレスを着て、黒いヴェールですっぽりと顔を覆っている。シンドバッドは少し気を取り直して彼女に近づいていった。全身真っ黒なので何歳なのか、どんな顔なのか、本当に女なのかすら分からない。だがひたすら暇を持て余しているよりよほどましだ。警戒されないよう、シンドバッドは五歩ほど離れた距離から「やあお嬢さん」と声をかけた。
「いい夜ですね。あなたも夜の海風に当たりにきたのですか。奇遇だ」
夜だからよく見えやしないだろうが、シンドバッドはとっておきの笑顔を作ってそう言った。いつもならその後は、「まあ、あなたはいったいどなた……?」みたいなわざとらしいはじらいと驚きとその奥にある期待に満ちた顔でシンドバッドを見上げてくるはずだった。そうならなかったことなどこの二十数年の人生に数度しかなかった。しかし相手はじっと黙っていた。
「はははお嬢さん、そのような分厚いヴェールごしではこの美しい星は見えませんよ。よろしければ取って差し上げよう」
わりと肩ががっしりした女だな、とそのとき思った。かさばってごわついたドレスを着ているせいかとも思ったがそういうわけでもなさそうだった。こんな格好をしているからてっきり悲しみに沈んだ未亡人か婚約者を亡くした少女かと想像していたのだが、それにしては立ち姿がはかなくない。どっしりと自信ありげだ。謎の黒衣の美女は、ヴェールの奥から「何やってんだよバカ殿」と呆れ返った声を返してきた。
自分の手でヴェールが乱暴にまくり上げられ、白い顔があらわになった。少女のよう、と言えなくもないがやはり女と違って骨ばっている顔や首、月明かりの中で輝く赤い目。シンドバッドは急激なめまいを起こしてその場に尻餅をついた。
「何でお前、この船に乗ってんだよ。聞いてねーぞ」
「あ」とか「な」とかそういう短い悲鳴しか出てこない。シンドバッドは甲板に座り込んだまま、無意識のうちに後ずさりをしていた。
「はーんそうか、女あさりが目当てか」
「ち、違う!」
何を言っているんだ馬鹿、とシンドバッドは自分に向かってつぶやいた。こんなくだらないことを思い切り否定してどうする。他に聞くべきことがあるはずだ。
「本当に、ジュダルなのか」
「見てわかんねーのかよ」
「分かるか! 何でお前がここにいる?」
ジュダルは頭をヴェールの上から頭をぼりぼりと掻き、「偶然?」と短く答えた。
「ふざけるな! 偶然なんかであってたまるか。組織が俺のところにお前を送り込んだんだろう。そんな服を着て、いったい何をたくらんでいる?」
「だから知らねえって……お前こそ何でこんな船乗ってんだよ。お前も今は王様なんだからよお、もっと豪華な旅しろよな」
余計なお世話だ、と返したくなったが黙っていた。ゆっくりと立ち上がり服の埃を払う。
「ジュダル、質問に答えていないぞ。いったいなぜこの船に乗っているんだ。お前は絨毯で飛べるんだ、移動以外の意図があるに決まっている」
「別にお前のこと殺してこいとか戦ってこいとか言われたわけじゃねーから安心しろよ。お前のことなんかひとっことも言われてねーよ。暴れたり騒いだりしねーで俺の王になる奴がいるかどうか見てこいってよ」
「どこにだ?」
「知らねーよ。どっかの国だよ」
「嘘をつけ!」
シンドバッドがいきり立ってもジュダルは何も言わない。ジュダルはいつものはた迷惑な子供っぽさを拭い去られたかのようにおとなしく、気だるげだった。
「ほんとに聞かされてねーんだよ。はーあ、つまんねーの」
「何で女の服を着ているんだ」
「バーカ、着せられてんだよ。男の服よりバレねーからってさ」
顎に手を当て、ジュダルはまたため息をつく。本当かもしれない、とシンドバッドは思い始めていた。女の服を着たからといってジュダルが本物の女に見えるかどうかはさておき、女の服なら確かに顔を隠していてもバレない。それにこの服には姿を隠す以外に別の用途があるように見えた。
「お前、何かやらかしでもしたのか」
「はあ?」
「その服、周囲からルフの力を集められないようになっているだろう。今のお前は普通の魔法使いと変わらない力しかないはずだ。なぜ組織にそんな服を着せられているんだ」
「ふーん、お前やっぱ『シンドバッド』だなあ? バカ殿」
ジュダルは今日初めて楽しそうに笑い、シンドバッドの腕をばしばしと叩いた。
「親父どもがよ、暴れんなってよ。第一印象ってやつが大事らしーぜ。知らねーけど」
「……そんなことは信用できん」
「好きにしろよ」
「それと、行き先はアルテミュラだな?」
「だから知らねーんだって」
「この船はアルテミュラゆきだ。近々行われる建国式典に、七海連合各国の要人が招かれている。それを狙うつもりか」
「へー? そうだったのかよ。強い奴ばっか集まってるってことだよなあ? なら暴れねーと損だな」
「ふざけるな! 元々そのつもりなんだろうがお前らは!」
黒いドレスの襟をつかみ上げると、ジュダルは「いてえ」と顔をしかめた。
「離せよ。いてーよ」
「お前らの目的を隠さず話せ」
「目的なんか知らねーよ! 俺だってよお、暴れられるもんなら暴れてーんだよ」
シンドバッドの手から逃れ、ジュダルは苦しそうに咳をする。
「おとなしく見てこいって言われてんだよ。こんな服着せられてんだから分かんだろ。刑罰用の魔法道具だから自分で脱げねーし、しかもただルフを集められねーだけじゃねえ。着てるだけで魔力まで吸い取ってくんだよ」
「まさか、馬鹿な」
「ウソだと思うんなら魔力少なそうな奴に着せてみろよ。すぐ死ぬぜ」
ははっ、と力なく笑い、ジュダルはよろけて太いマストにつかまった。それを見て思わず手を差しだそうとしてしまったシンドバッドは唇を噛んで素早く腕を引っ込める。
「つまんねーの。せっかくお前と会えたのによ、これじゃ暇つぶしもできねえ」
「お前の暇つぶしなどには付き合わん」
「お前が付き合ってくんなくて俺が別の奴と暴れてたらどうせ止めにきて戦うんだろ? 同じことじゃねーかばっかみてえ。なら最初っから戦えよな」
そっちか、とシンドバッドは思い、都合のいいことを想像していた自分に恥じいる思いで手のひらに爪を立てる。口を開いて何か言おうとしたとき、背後から規則正しい足音と口笛が聞こえた。シャルルカンだ。まずい、と即座に思い、マストに寄っかかっていたジュダルを腕の中に隠す。うぷ、という小さな声が聞こえたが、ジュダルは文句を言ったり暴れたりはしなかった。
「王サマ、ここにいたんですか」
「あ、ああ。わざわざ俺を探しにきたのか」
シャルルカンに背中を向けたまま、シンドバッドは上擦りかけた声で答える。シャルルカンは不思議そうにシンドバッドの後ろ姿を見つめていたが、腕の中にある黒いドレスとヴェールを見て「あー」と声を放って笑った。
「お楽しみ中すみませんでした。俺は部屋に戻ってますんで、ごゆっくり」
「すまんがそうしてくれ。すぐに戻るから心配するなとピスティにも伝えてくれ」
「仰せのままに」
足音は機嫌よく遠ざかっていき、シンドバッドはほっと息をついた。だが動悸は収まらない。見られたってよかったはずじゃないか。こいつを排除しろと命じたってよかった。魔力切れでぐったりしているジュダルなど、シャルルカンならものの一秒で片づけることができる。だがシンドバッドはそうしなかった。そんなことできるはずがなかったのだ。
シンドバッドは腕の力を強め、女の服を着せられているジュダルを体の中に抱きすくめる。ジュダルは何も言わずにじっとしている。ドレスのごわついた生地の下のジュダルの体は恐ろしいほどに小さく思えたが、ジュダルはもはやシンドバッドの知らないところで、確実に大人に、そして男になりつつあるのだった。こんなドレスが似合わないほどには。
「バカ殿、苦しい」
くぐもった声がシンドバッドの首のあたりから聞こえた。すまん、と言おうとしたが言えなかった。
「なあ、シンドバッド、頼みがあるんだけどよ」
「……何だ」
ジュダルの頼みなど聞けるわけがないのに、ジュダルの声がほとんどささやき声だったからかついそう答えた。
「これ、脱がせろよ。魔法使いじゃなきゃ脱がせられねえらしいけど、お前にはアレがあるだろ?」
「魔力操作のことか」
「そうだよ。アレさえ使えりゃロックが解除できる」
「断る」
「何でだよ。別に暴れねーよ。式典とかそういうのつまんねーし行きたくねーもん。でもこれ着てたらここから逃げることもできねーだろ。信用しろよ」
「信用? お前の言うことなど信用すると思うか?」
「ああ。だってよ……」
ジュダルは首に顔を埋めたままシンドバッドの背中に腕を回してきた。
「お前は俺のこと絶対殺せねーだろ」
「何を言ってる」
「殺せねーんだよ。そういうの分かってんだぜ、全部」
「ふざけるな。今はその必要がないだけだ」
「ふーん? 『今は』ねえ」
体を震わせて笑っているのが服越しに伝わってくる。
「今じゃないときっていつだよ? それ何度言ったんだよ? お前ってほんとそればっかだなあ? なあ、バカ殿。バカの王様。はは、お前っておもしれーよなあ。こんなに笑える奴、どこにもいねーよ」
シンドバッドはもう答えなかった。抗弁もしなかった。ジュダルの体を離して乱暴にマストに押しつけ、顎をつかんで唇を押し付けた。ジュダルの唇は柔らかくもないし、あたたかくもなかった。冷たくてただ湿っている唇と舌は必死で余裕のない蹂躙を受け入れたが、そのくせちっともあたたかくならなかった。シンドバッドからいっさいのあたたかさを奪い取り、その途方もない熱を吸っても普段と変わらず平気な顔をしていた。波の音はほとんど聞こえなかった。風もなかった。粘膜があわさる音、唾液が混ざる音がいっそう高らかに響いていた。もし風と波がそれをかき消すほどにうるさかったら我に返ったりなどできないかもしれなかった。
王の服を着たシンドバッドに向かって「お似合いですよ」と微笑むことをしなかったのはジュダルだけだ。ジュダルだけが「何だよその服、でかすぎるし全然似合わねえ」とけたけた笑った。シンドバッドはむっとしながらも、そうかもしれないと心の中で苦笑していた。そんなのはジュダルがいるときだけだった。おれを笑うことができたのはジュダルだけだったのだ。他には誰もいないのだ。これからだって誰一人現れないだろう。シンドバッドにはそれが分かる。
顔を見られたくなくて、そっとジュダルを抱きしめた。ジュダルは特に何事もなく黙ってされるがままになっていたが、ときどき後ろにに伸びた手がシンドバッドのこわばった背中を気まぐれにつつき、また垂れ下がった。ぎいい、と船がきしむ音が聞こえた。このままおれのものになればいいのに、とシンドバッドは強く思った。過去も現在もあらゆるつながりや因果などすべて世界からなくなって、この偶然だけが残ればよかったのに。そうしたらおまえを抱きしめたままでいられるのに。
「バカ殿、いてーよ」
ジュダルはいやそうな声でそうつぶやいた。すまん、と答えたりは、もちろんしなかった。
「なあシンドバッド、やっぱり俺と組めよ。ぜってー楽しいぜ? 今よりずっと」
「断る」
「そーだろーよ」
ふん、と笑い、ジュダルは両手を伸ばしてシンドバッドの頬を挟む。その手はぞっとするほど冷たかった。
「何だよ、すげー顔してんなお前。笑える」
シンドバッドはそのまままた口づけをし、手のひらに魔力を集めてジュダルの着ている黒いドレスの襟元に触れた。その瞬間外からも内からも魔力を吸い取っていたドレスはみずからの魔法と魔力を相殺されて呆気なく力を失い、ジュダルは「ジュダル」に戻った。ジュダルはドレスがただの布となって甲板に落ちても、しばらく唇を離さなかった。
偶然は呆気なく星空へ飛び去っていった。シンドバッドの手には黒い布とヴェールが残された。次の朝黒いものを海に投げ捨てるシンドバッドの姿をシャルルカンが気の毒そうな顔で見ていたが、別に何も言わなかった。おそらく王はあの偶然の一夜の恋にやぶれたのだろう、としか思っていない。それはまったくの間違いだが、ある意味では間違っていなかった。
式典は予定通りに始まり何事もなく終わった。黒い影を見ることもなかった。シンドバッドと二人は無事にシンドリアへ帰りつき、いてもたってもいられないといった様子のジャーファルの気ぜわしい出迎えを受けた。ジャーファルは何度となく非礼を詫び、よくご無事で、と涙を浮かべた。
「謝ることではないさ。お前の怒りはもっともだし、何より楽しかった」
「あなたを危険にさらしたことには変わりありません」
「ああ、そんな堅苦しいことを言うな。王になったからっていつも王の服を着ていたら疲れるだろ。お前もいつもそんな服着ていないで羽目を外したらどうだ」
「他の服など持っていませんよ、私は」
まじめに答えるジャーファルの肩を叩いてからかいながら、確かにだいたいの人間はそうだろう、とシンドバッドは思う。みな自分に与えられた服だけを着て生きている。それが似合うかどうか疑問に思うことや、脱ぎ捨てたいと願うことは人間として、してはいけないことなのだ。シンドバッドは心の底から王の服を着たかったわけではないが、無理矢理着せられていると思うほどでもない。たまに脱ぎたくなる。本当にただそれだけなのだ。それくらいなら許されるだろう。なあジュダル、と心の中で呼びかける。腕の中にごわついたドレスの感触、否応なく大人になっていく体を思い出す。そんなもの思い出してはいけないのに。
自分たちは必然に出会うことはもうないのだろう。当たり前のように顔を合わせたり、示し合わせたり、そんなことはもうできないのだろう。それなのに何度も何度も出会っていくのだ。疑いと憎悪の顔をして、決して分かりあえないという顔をして、いつだって「偶然」の服を着せられて。