息が整いきるまでほとんど放心したように髪を撫でているが、やがて我に返ったように体を離して後始末を始める。ジュダルは疲れきっていて眠たくて仕方がないのでその間じゅう目を閉じている。だがだいたいは無理やり起こされて服を着せられる。風呂へ行こうというのだ。風呂自体が嫌いというわけではないジュダルだが、眠気をこらえてきちんと服を着て回廊の端から端まで移動するのはめんどうくさい。なので「一人で行ってこいよめんどくせーな」と答えてふたたびごろりと寝転がる。
「何言ってるんです! 不潔だと思わないんですか?」
「不潔う? いちいちやった直後に風呂入るのお前だけだろ。明日の朝入るから寝かせろよな」
「直後じゃなければ意味がないんです! 汚いでしょう、色々、あの、そのう……汚してしまったし、俺のに、匂いが、ついてしまっ、」
「そんっなに気になんならやんなきゃいいだろ」
前に同じ状況で無理やり風呂に連れて行かれたときはまるで牛や馬を洗うかのようにごしごしと力を入れて洗われて皮膚がすりむけそうになった。洗っているときの白龍の目は真剣で恐ろしく、そんな痕跡はひとつとして残しておかない、という暗い情熱に満ちていた。そこまでするなら最初からやらなければいいと思う。毎回思いつめた様子で押し倒してくるのは白龍の方なのだ。自分勝手な奴だ。
「神官殿」
「何だよ」
「……ついてきてください。お願いします。やさしくしますから」
「へええええーそんなに一緒に入りてーのかよ」
白龍は追い詰められたような顔をしてうつむく。そんな下らないことが生きるか死ぬかの問題になるのはこいつだけだ。
「まあそこまで言うなら行ってもいいけどよお、歩くのめんどくせーから背負っていけよ」
「い、嫌ですよそんなの! 変に思われるじゃないですか!」
「やさしくすんだろ? だったら今からやさしくしろよ。だいじょーぶだって、誰もいねーよこんな夜中じゃ」
「当たり前です。いたら困る」
相当あわてているらしく、言っていることがめちゃくちゃだ。白龍は上だけ中途半端に服をはおった下半身むき出しの情けない姿でぶつぶつ言いながら部屋をうろうろし始めた。
「女官ならまだいいが、もし姉上の目に触れたらと思うと俺は……。いや、もし見つかったのが女官でもうわさになっておかしな尾ひれがついて姉上の耳に入って誤解されたらどうしたらいいんだ。姉上に合わせる顔がないじゃないか」
ジュダルはだんだん面倒になってきて目を閉じる。こいつは多分自分で自分を追い詰めるのが楽しくて、気持ちがよくて、大好きで、やめられないのだ。そんな一人遊びにいちいち付き合うほど律儀ではない。
「ちょっ、寝ないでくださいよ! あんた今の話聞いてたんですか!?」
「あーもー、でけー声出すなよ。お前ただでさえあのときの声でけーから耳がいてーんだよ」
白龍は思わずといった感じで口を押さえ、真っ青になった。黙らせるにはうってつけだ。
「いいから背負えばいいんだよ。別にやましいこと何もねーんだから見つかったっていいだろ」
「やましいこと、ないんですか」
「ねーよ。さっさとしゃがめよ。あと下は履けよ。丸出しになってんぞ。別に俺はいいけどどうせ『分かってたのに何で教えてくれなかったんですか神官殿のバカ!』って泣くからよ。ったく勝手な奴だよな」
う、とうめき、今度は下半身を隠す。忙しい奴だ。寝台の上に散らばっていた服を適当に投げてやり、自分は白龍のものと思われる夜着をはおった。帯がどこにも見当たらないから少し動いたら前が全開になってしまうが、白龍と違って誰に裸を見られてもどうとも思わないし風呂まではどうせ白龍に背負わせるしどうだっていい。ジュダルはあくびをし、白龍が自分の前にひざまづくのを待っていた。
「どうぞ」
このまま旅にでも出るのかと思うほどきっちり着込んで髪まで結い直した白龍は、寝台のそばまできて背中を差し出した。そのまま背中にしがみついて首に手を回す。部屋を出る頃には月がずいぶん高くなっていた。
風呂のある棟まで続く装飾過多な回廊は寒々しく、誰の姿もなかった。遠くではかがり火が焚かれ、不寝番をしている衛兵がいるのは分かるが、ここには少なくとも誰もいない。かつ、かつ、という白龍の足音だけが響いている。しかしその足音はだんだん鈍くなり、やがて止まってしまった。
「おい、なんで止まるんだよ。まだ半分もきてねーぞ」
「……あの神官殿、お聞きしたいことが」
「おききしたいこと?」
「あの、もしや、裸、とかそんなことはないですよね。どうしてか背中が、何だか、」
「裸じゃねーよ」
「そうですか、よかった」
「ああ、よかったよ。お前が背負ってるから前あいてんのわかんねーしな」
「はいい!?」
一瞬白龍の腕の力が抜けて、背中からずり落ちそうになる。ジュダルは思い切り首にしがみついて態勢を維持した。
「落ちるじゃねーか。ちゃんと抱えろよ」
「ちょ、ちょっと、何で前があいてるんですか! 何でそんな格好で、」
「うるせーななんか文句あんのかよ。帯がなかったんだよ。いいだろお前が丸出しなわけじゃねーんだから」
「そういうことではなくて、この状態で背負ってるとその、色々と問題が」
「当たるもんなんてなんもねーよ」
仕方なく密着している上半身を少し離してやり、はああ、とため息をつく。
「お前元気だよなーさっきさんざんやったばっかだってのによ」
「うるさいな! あんたのせいですよ!」
「ほら、早く行けよ。さみーだろ。凍死させる気かよ」
白龍はぎくしゃくとした足取りで歩くのを再開した。首筋が熱く、じっとりと汗をかいている。ただでさえ高い体温がますます高くなっているのが分かる。風が吹き抜けて寒いからちょうどよかった。それ以外には特に背負われ心地のよくない背中なので眠るまでにはいかない。特に広いというわけではないし、安心して体を預けるには頼りないし、それなのにごつごつして痛い。白龍そのものだ。ジュダルは息だけで笑ってふたたび体を密着させた。
「あ、」
しかしぎくりとした声が聞こえ、白龍はまた立ち止まった。緊張が伝わってくる。
「今度は何だよ?」
答えを待つまでもなく、回廊の角から見知った二人が現れた。ひらひらした派手な裳着の少女と高い帽子をかぶった男の組み合わせは紅玉と夏黄文だ。夏黄文はぐったりして朦朧としている様子の紅玉を抱えて歩いている。おや、と声がし、死にそうな顔の白龍に拱手した。
「皇子殿下……と、神官殿ではありませんか。こんな夜中に何をしておいでで」
「そ、それはその、」
白龍はジュダルをきちんと背負い直し、深呼吸をしてわざとらしく夏黄文をにらんだ。
「お前こそ何をしている? 義姉上はただならぬご様子だが」
「姫君は湯あたりでありますよ。限界まで湯を熱くして入る美容法を試しておられて、倒れられたそうで」
はあ、とため息をつき、夏黄文は袖で口元を隠す。
「どこぞのお方が恐れ多くも姫君をババアなどと呼ぶものですから気にしておられるのです」
「俺のせいじゃねーし」
「どう考えてもあなたのせいでありましょう! なんて身勝手な!」
「そんなことはどうでもいい。立ち話をしている暇があったら義姉上を早く休ませて差し上げろ」
しかめつらしく顎で紅玉の宮の方を指し、白龍はそのまま通り過ぎようとする。が、夏黄文の腕の中で気分が悪そうにうつむいていた紅玉が顔を上げたせいで話はそこで終わらなかった。
「あらあ、寒くないのお、ジュダルちゃん」
紅玉のぼんやりとした視線はむき出しの膝と足に向けられている。白龍は「まずい」といったようにさっと体の向きを変えた。
「別に寒くねーよ。ていうか他に突っ込むとこあんだろ」
「ちょっと神官殿、余計なこと言わないでくださいよ!」
「ふうん、仲いいのねえ。いつの間にあなたたちお友達になったのお?」
場の空気に緊張が走る。紅玉の口から出る「お友達」という言葉は重たいし、「仲がいい」と言われて白龍がなぜかショックを受けているからだ。
「友達……? 違います。俺はその、ただ神官殿が『動けない』と言うから背負っただけであって」
白龍の首にしがみついているジュダルをまじまじと見て、紅玉は首をひねった。
「魔法もじゅうたんも使えないなんてよっぽど疲れてるのねえ、ジュダルちゃんたら。でもあなたたちよく似ているもの、きっといいお友達になれるわよお」
紅玉と夏黄文は優雅に挨拶をし、回廊を横切って去っていった。白龍はあっけに取られたまましばらくその場に立ち尽くしていた。ジュダルはいつ振り落とされてもいいように腕と足の裏に力を入れる。
「……騙したな」
「騙してねーよ。ババアも言ってただろ、魔法もじゅうたんも使えねえくらい疲れてんだよ。お前のせいでな。じゅうたんだって結構魔力使うんだぜ」
「ふざけるな! そんな言い訳で騙されるとでも思ってるのか!」
実際騙されていたことはすぐさま忘れたらしい。ジュダルはぎゅうと首にしがみつき、耳元で「いいからこのまま背負ってろよ」とささやいた。
「どうせすぐだろ。この方があったけーし」
「あたたかいのはあんただけでしょうが! なんて自分勝手な! ……まあでも、とんでもない格好をしているから隠すにはこのままの方がいいかもしれませんが」
「そーだろ」
白龍は仕方なさそうにため息をつき、大して長くもない回廊を歩き始めた。何も思わなければ本当になんてことのない距離なのだ。寒かったり夜中だったり、眠かったり恥ずかしかったりしなければ。
やっとの思いで湯殿のある建物に足を踏み入れると、前もって用意させておいたからかあたたかで圧迫感のある湯気が中にこもっていた。釜の中で燃やされる大量の薪の匂いが漂ってくる。みなが寝静まっているこんな時間に大量の水を汲んでこさせて湯を沸かせるなんて、王侯貴族だけに許されることだ。一言命じただけでそれがかなう「皇子様」であるところの白龍は入り口で拱手をしている女官に軽く頷いて通り過ぎ、扉をきっちり閉めてからジュダルを下ろした。寒さのせいか膝が赤くなっている。
はおっていた薄い夜着を脱ぎ捨てて湯に入ろうとしたとき、いきなり後ろから腕をつかまれた。振り返ると当然ながらそれは白龍で、今にも死にそうな、追い詰められた顔をしていた。何だよ、という視線を送ると、思い切り体重をかけられて裸の体を冷たい床に押し倒された。
「なーに興奮してんだよ。軽い奴だよな、お前って」
緊張して固くすぼんだ白龍の唇が乱暴に押し当てられた。やわらかさをすべて吸い取ろうとでもするかのように力を入れて吸われ、そのたび不器用に音を立てる。白龍はその音に自分で興奮して、肩をびくびくと震わせる。唇の間を割って舌が入り込み、あたたかな粘膜が擦れ合う。
なんてもったいない、とジュダルは思った。欲望で頭がいっぱいになっている白龍には、すぐ隣で湯気を立てている湯の存在など目にも入っていない。気まぐれな命令で何人もの下男下女がこんな時間にかりだされたというのに、自分勝手な奴だ。しかしジュダルは何となく可笑しくなる。他人に対して「自分勝手だ」なんて思うことはなかったし、白龍の自分勝手なところに腹を立てているわけでもない。ジュダルはわりといつも誰かに「自分勝手だ」と言われてきたからだ。ふん、いったいそれの何が悪い。
ジュダルは下手くそなキスに夢中になっている白龍の頭の、耳の辺りを撫でてやった。白龍は唇を離し、くすぐったそうに首をかしげた。そしてまるで自分が無理やり押し倒されて、冷たい床に押し付けられてでもいるかのように苦しげな嫌悪の表情を浮かべた。勝手な奴、と笑いながらつぶやくと、白龍は息を詰まらせてにらんできた。まるで自分が「自分勝手だ」なんて、かけらも思っていなさそうな顔だった。