さまざまな国を旅し、さまざまな人物の手に渡り、最終的に煌の貿易商が帝都に持ち込んだ金色の指輪は、身につけると恐ろしい呪いがふりかかると言われていた。指輪はへらのような頭をもった蛇の彫り物がされており、一見して異国のものと分かる。中原にはこんな蛇はいない。他にも見たことのない宝石でごてごてと飾り立てられていて、大して目の肥えていない者でも一見すれば貴重で高価なものと分かる。その指輪が禁城のぬしにうやうやしく「献上」されたのはそういうわけだ。呪いの噂のせいで売り物にならなくなったからていのいい厄介払いをしたというのが実状だろう。しかしタイミングの悪いことにそういう貢ぎ物を一番喜びそうな男がすぐに死んでしまったから、しばらくの間指輪と呪いの存在は忘れられていた。
 ジュダルが最初にそれを見たのは池のほとりに座り込んで波ひとつない水面を真剣に眺めている紅明に出くわしたときのことだった。紅明は平素から頭の中身だけ別の場所に旅立っているようなぼんやりした男だが、まばたきもせず身を乗り出して池を見つめ続けているのはさすがに尋常ではない。
「おい紅明、何やってんだよ。魚でも探してんのか?」
 数秒遅れて紅明が顔をこちらに向けたとき、ろくに結ってもいない髪が池に入った。
「これは神官殿。何かご用ですか」
「別に用なんかねーよ。何やってんだって聞いただけだよ。ていうかお前、毛が魚に食われてんぞ」
 何と勘違いしたのか、池に放してあるカラフルな魚が水中に沈んでいた紅明の髪に数匹くっついていた。簡素な喪服を着た紅明は軽く咳払いをし、丁寧な手つきで魚をはがし取る。
「自分の髪で釣りでもしてたのかよ?」
「いいえ、違います。が、髪で釣りができるとは素晴らしい発見だ。兵糧が足りなくなったら兵たちに髪をほどかせて海に沈めて釣りをさせましょう」
 不気味なにやり笑いをし、紅明は犬のように頭を振って適当に水を払う。そして思い出したように手を打った。
「ああ、そういえば神官殿はマギであられましたな」
「何だよ急に」
「神官殿を力ある魔導士と見込んで、お願いしたいことがあるのです。これを見ていただきたい」
 紅明が懐から取り出したものは、黄金色に輝く派手な指輪だった。彫り物がされ、大きな宝石がいくつもついている。
「あん? 何だこれ。指輪か?」
「そうです。はめると災いが降りかかる呪いの指輪と巷では言われていたそうです」
「呪いねえ……」
 確かにどことなくまがまがしくはあるがそれはあまり見慣れないデザインだからで、見る者が見ればこれがエリオハプトで作られたことに気づくはずだ。コブラなど煌の帝都にはいないだろうから、恐ろしく見えるのも仕方ない。
 しかし紅明はジュダルの興味なさそうな様子を鋭く察知し、熱心に手を取ってきた。
「お考えになっていることは分かります。しかしこんなにも噂になるほどですから迷宮道具の一種なのではと疑っているのですが確証はなく……。ぜひともこれに呪いの力が宿っているかどうか見ていただきたいのです」
「別にいいけど」
「おお、なんと頼もしい! さすがは我らのマギですね!」
「何なんだよ気持ちわりーな……。そんなに困ってんのかよお前」
 イヤな顔をして手を振りほどき、うっかり渡されてしまった指輪に目を向ける。紅明は黒い羽扇で口元を隠しながら、言いにくそうに頭を掻いていた。
「実は紅覇が、伏せっておりまして」
 羽扇をぱたぱたさせながらふたたび池のほとりに座り込み、ジュダルにも座るように促してくる。
「つい先日、我らが宝物庫を『確認』しに行ったのはご存じでしょう?」
 ジュダルは首を傾げて知らないふりをする。三日ほど前のことだ。本来は喪が明けきらぬうちに立ち入ることは禁止されているのだが、玉艶や組織に先を越されないよう紅明と紅覇とその手の者たちが宝物庫の中身を押さえに行ったらしい。おそらく目当ては財宝などではなく、武器になりうる迷宮道具や組織に繋がるような文献などだろう。しかし宝物庫のことは玉艶が知り尽くしているから奪われたらまずいものは別の場所に隠してあり、紅明たちの目当てのものが手に入ったかどうかまでは知らない。
「そのときに紅覇がこの指輪を見つけたのですよ。『こんなゴテゴテしたの僕の趣味じゃない』などと笑いながらふざけて指にはめたとき、急に様子がおかしくなり、わけの分からないことを叫びながら倒れてしまいました」
「ふーん」
「指輪を外しても元には戻らず、紅覇は今でも伏せっております。誰も寄せ付けぬ様子であるとか。後で調べてみると、呪いの指輪を呼ばれるものであることが判明し、こうして神官殿に調査のお願いをしたわけです。ご了解いただけたでしょうか?」
「……」
 依頼の内容は理解はできたが話が飛びすぎてよく分からない。紅明は話をしながらまた水面を見つめている。しかも紅明は池の中を見ているのではなく、自分の顔を見ているのだ。
「お前さあ、自分の顔に見とれんなよ気持ちわりーな」
「は? いや、己の顔面のあまりの出来の良さにうっとりしているわけではありませんよ。どこか似たところがないかと探しているんです」
「似たところ?」
「紅覇の顔とです。紅覇が『どうせ僕は炎兄たちと本当の兄弟じゃないんだ、僕はひとりぼっちなんだ』などと泣くものですから」
「ガキのころの話だろそれ」
 いいえ、と紅明は首を振り、軽くため息をついた。
「指輪をはめて倒れたときに、そう叫んでいたんです。子どののころから今まで紅覇はそういう……何と言いますか、弱いところを見せたことがなかったので」
 どこかの誰かとは大違いだ。ジュダルもつられて頭を掻き、ははっと笑った。
「神官殿のように唯一無二の存在である方には下らない悩みに思えるでしょうが、血の繋がりというものは複雑で、簡単に割り切れないのに無理にでも割り切らないと前に進むことすら難しくなってしまうのですよ。私などは長男に生れなくてよかったとただ思うだけですが、紅覇はもっとさまざまなことを感じながら生きているのでしょう」
 気のない返事をし、ジュダルは池のほとりから立ち上がる。確かにジュダルにはまったく縁のない悩みだ。
「おや、どこへ?」
「どこへって、調べてほしいんだろ。安心しろよ、このこと玉艶には黙っててやるから」
「すべて折り込んだ上で神官殿に相談させていただいたのですから、誰に告げても構わないのですよ」
「ふーん? 紅炎にもか?」
「……それは」
 紅明の顔が気まずそうに歪む。ジュダルはにやっと笑って紅明の頭を軽く叩いた。
「神官殿、兄王様のお耳に入れて心配をおかけしたくないのです。どうかご理解を」
「別にいいけど、紅炎はもう知ってると思うぜ」
 そうですよねえ、と紅明は脱力した。えげつない奇策ばかり次々に思いつく奴のくせに、兄弟たちのことになると本当に凡庸な男になってしまう。しかしそれは紅明に限らず誰でも同じなのだろう。ジュダル以外は。何しろジュダルは血縁者をすべて地上から消されたという意味で、「唯一無二」の存在なのだから。






「それで、そんな怪しげな物を預かってきたというわけですか」
 別段興味なさそうに白龍はそう言い、金属器を磨く作業を再開した。白龍は少しでも刃が血で曇ると狂ったように磨く癖がある。
「お前せめてこっち向いて聞けよ。感じわりーな」
「あんたが邪魔してきたんでしょうが! 俺は忙しいんです。あっちで遊んでてください」
「遊んでるわけじゃねーよ!」
 ジュダルは舌打ちをし、手のひらに乗せていた指輪を白龍の目の前に持ってきた。
「ちゃんと見ろよ。これだよこれ。見覚えないか」
「ありません。だいたいそういうのは魔導士の仕事でしょう。俺に見せてどうするんです」
「ったくお前はよー、単なる金属器使いでしかないお前なんかにこの俺がわっざわざ相談してやってんだろ! 少しは感謝して頭フル回転させろよな」
「そんなこと頼んでないし感謝もしない。どうせ一人じゃ見当がつかなかったから俺のところにきたんでしょう。しかも本当はもっと頼りになる紅炎のところに行きたかったのに、紅炎には相談するなと頼まれたから、ではありませんか」
 じろりとにらまれる。今日初めてまともに目を合わせたと思えばこれだ。
「はは、思った通りだ。一刻も早くここから出て行かれよ。あんたの顔をこれ以上見たくありません」
「ひがんでんじゃねーよバカ」
「ひ、ひがみじゃない!」
 真っ赤になってあわてる白龍を鼻で笑い、ジュダルは白龍の手から布と金属器を取り上げて床に放った。がち、と耳障りな音を立てる。
「まーいいから手伝えよ。お前をいっぱしの男と見込んで頼んでんだよ。お前がほんとに何の役にも立たなかったらすぐにでも出ていってやるからよ」
「勝手な奴だな……。それで、いったい何を手伝ったらいいんです」
「お前ちょっとこれ指にはめてみろ」
 ほら、と何でもないことのように指輪を差し出す。紅明には思わず安請け合いをしてしまったが、ジュダルは別に魔法道具の専門家でも何でもないのだから自力で指輪に込められた命令式を解き明かすことなどできるわけがないのだ。しかしこの指輪に何が仕込まれているかを探るのは実に簡単だ。他の奴にはめさせてみればいい。
「……ふざけてるんですか?」
「ふざけてねーよ。まじめだよ」
「呪いの指輪なんですよね? はめた紅覇殿は三日も伏せっているんですよね?」
「そうだけど」
「要するに俺を実験台にするつもりじゃないか! 出て行け!」
 落ちていた金属器を拾い上げ、白龍はすさまじい剣幕でジュダルを刃先を向けて追い出そうとする。金属器と腕の一部が変化していて、完全魔装一歩手前といった感じの怒り方だ。
「なあ、怒ると魔装するとかそういうガキくせーの、もう卒業しろよな。お前だけだぞそんなの。みっともねーな」
「うるさい! そんなことは今関係ない!」
「あーもう怒んなよ。ただ指輪はめてみろって言っただけなのにめんどくせー奴だなー」
「冗談じゃない、そんなに実験してみたければ自分でやればいいじゃないか! 俺がしっかり経過を見ているからはめてみればいい」
「はあ? お前もしかして知らねーの? こういうのはなあ、マギがはめると壊れるようにできてんだよ。何しろマギだからな……魔力がドバーッとあふれすぎて、なんつうの? よく分かんねーけどそんな感じで壊れるんだよ。だから別にお前のこといじめてるわけじゃねーから心配すんなよ。ほら、はめてみろって」
「見え透いた嘘をつくな!」
 白龍はジュダルの手を振り払い、呼吸を鎮めるべく背を向けた。肩を怒らせてしきりに上下させている。
「白龍、怒んなよ。こんなこと、お前にしか頼めねーんだよ」
 肩の動きがぴたりと止まり、白龍はほんの少しだけ振り向いた。
「ほら俺、友達いないだろ? マギだし。最初っから兄弟もいないしよお。だからお前しかいないんだよ白龍」
「ジュダル……」
 根がものすごく単純な白龍はもう目を潤ませている。ジュダルは心の中で舌を出しながらとびっきりしおらしい顔を作ってみせた。こいつはバカだから一度同情させてしまえば簡単だ。
「な、白龍。手伝ってくれるよな……?」
「イヤです」
「はああっ?」
 思わず凶悪な表情でにらんでしまい、ジュダルは少々後悔した。
「何でだよ! ふざけんなよ! かわいそうだと思わねーのかよ!」
「演技してるのが見え見えなんですよ。それに俺はあなたには同情しないと言ったでしょう。そんな手に引っかかると思わないでいただきたい」
 白龍のくせに、とうなり、ジュダルはふてくされて椅子に座り込んだ。何か他の手を考えなくては。紅玉を適当にだまくらかしてはめさせてもいいのだが、紅玉のそばにはうるさい夏黄文がいるからなかなか騙しづらい。白瑛に正面切って頼んだら何となく快諾してくれる気もするがそんなことをしたら目の前にいる男が何をするか分からない。
「あーめんどくせー、お前のせいで行き詰まったじゃねーかよ何とかしろ」
「俺のせいじゃない。それに一人作戦会議なら外でしてください。うるさくてかなわない」
「あんな調子いいこと言ったくせにつめてーなお前……」
 ため息をつき、ジュダルは椅子の背にふかぶかと体を沈めた。白龍はまたしても黙々と金属器を磨いている。ジュダルのすぐそばで背を向けて座っているので、思わず足を伸ばして背中にくっつけた。
「やめてください。足蹴にされるのはあまり気分のいいものではない」
「やめてほしかったらこっち向けよ」
 ふん、と笑ってそう言うと、白龍は一気に背中をこわばらせた。息を呑んでいる様子がよく分かる。分かりやすい奴だ。ジュダルは思わせぶりにゆっくり椅子から立ち上がり、白龍の背中にそっと覆い被さって全身に体重をかける。
「やめて、ください」
 声が震えている。服越しに緊張が伝わってくる。耳の後ろからかすかに汗の匂いが立ち上ってきて、気持ち程度に焚きしめてあった陳腐な香と一緒にあたりに漂い始める。ジュダルは後ろから首にしがみついてニヤニヤしていた。バカめ。
「そんなに嫌がんなよ。俺とお前の仲だろ」
「なっ、妙なこと言うな! いつそんな仲になったというんだ」
「へー? 覚えてねえの? へええええ? じゃあ思い出させてやろうか?」
「やめろ!」
 白龍はジュダルの腕を無理矢理振りほどいて立ち上がり、よろけながら距離を取ったのちに尻もちをついた。顔が羞恥と恐怖で凍っている。
「はっは! 単純だよなーお前って。魔法使うまでもなかったぜ」
「何の、話だ」
「自分の指、見てみろよ。あっさり引っかかってやんの」
 ぎょっとしたように視線を下ろし、白龍は自分の右手を見た。小指にしっかりと指輪がはまっている。離れる間際にさっとはめておいたのだ。
「う、うわあ! 騙したな!?」
「そんなトロいんじゃ街出たらすぐスリに遭うか色仕掛けに引っかかってぼったくられんぞ。むしろ俺だったことに感謝しろよな」
 怒りに震える白龍を指さして笑う。白龍が無言で金属器を構え、乱暴に指輪を外そうとして手をかけたとき、さっそく効き目があらわれた。白龍は突然凍り付いたかのように動かなくなり、やがてがくりと膝を折った。
「ジュダ、ル」
「何だよ。お前ちゃんと呪われてんだろうな」
 心が動揺しているのか、少々ざわついてはいるが特にルフに変化は見られない。ジュダルは首を傾げながら白龍の様子を観察し続けた。
「ジュダル」
「だーかーら、何だよ? はっきり言えよ! 気持ちわりーとか頭いてーとかめまいがするとか呪われた感じがするとかそういうのないのかよ。役に立たねー奴だな」
「うるさいな! 俺だってがんばってるんだよ! それなのに何で分かってくれないんですかっ! もう知りません!」
「はあっ?」
 白龍の両目からは涙がぽろぽろとこぼれている。
「あんたなんかだいっきらいだ! 何かっていうと弱いとか役立たずって言うし俺のことチョロい奴って思ってるんでしょ!? 紅炎が俺くらいのときはあんなんじゃなかったって思ってるんでしょう? 分からないと思ってるんですか? 適当にくっついておけばすぐ真っ赤になって言うこと聞くって思ってるだけのくせに! だいっっっきらいだ! もう顔も見たくありません!」
 うええええん、と幼児のように叫んで、白龍は大泣きしていた。ジュダルはうーん、とうなりながらまた椅子に座った。確か紅覇も兄に向かって子どもじみたことを言って泣いていたと聞いた。いったいどんな呪いだ。幼児化する呪いか。
「白龍、お前年いくつだ」
 もし本当に頭の中身ごと幼児に退行してしまう呪いだったらどこまで戻ったのか聞いておきたかったのだが、白龍は「十七に決まってるでしょあんな調子のいいこと言っといてあんた俺の年も知らないんですかあーあーあーそうですよね要するに俺に興味ないんですよねそんなこととっくに分かってましたよもういいです!!」と叫んでまた泣いた。わけが分からない。
「何なんだよもう……。ま、お前がひがんで泣くのはいつものことだけどよ」
「ひがみじゃないっ! バカにしないでください!」
 ううっ、と哀れっぽくうなり、白龍は膝立ちの態勢から金属器を杖代わりにしてふたたび立ち上がった。ひといくさしてきた後みたいな、どうにも心許ない立ち方だ。あんなに騒がしかったルフは怖いくらいに静まり返っている。斬りつけてくる気じゃないだろうな、とちらっと思ったが、白龍は金属器を床に放ってゆっくりとジュダルの方に近づいてくる。正面に立つと懐かしいものを見るかのように目を細めてジュダルを見下ろした。
「ジュダル」
「あん?」
「ずっと言いたかったことがある」
「何だよ。言ってみろよ」
 ごくりと唾を飲み込む音が聞こえ、白龍はジュダルの両肩をつかんで立たせた。白龍の目は真剣だ。真剣だが、どこか幼かった。涙と鼻水がそのままになっているからよけいに子どもじみて見える。
「俺は、あなたの……その……」
「早く言えよ。腕がいてーんだよ」
 その文句すら聞こえていない様子で、白龍は何かを期待するようにジュダルの両目を見つめたまま唇を震わせていた。言葉を探しているのだろう。
「で? 俺が何なんだよ? 俺とやりてーの?」
「そ、そんな下品な言い方をしないでいただきたい! いつもそうやって雰囲気をぶち壊すじゃないですか! 俺はあんたのそういうところが大嫌いだ! そうじゃなくて、俺があなたに言いたいことは、」
 一瞬だけ目を伏せ、視線が下へ向かう。目は下腹部で止まり、ジュダルは呆れたように笑った。
「何だよ。やっぱりやりたいんじゃねーかよ」
「違う」
 白龍は金属器を磨いていた布をさっと広げ、ジュダルの腹に巻き付けた。
「人前でやたらにおなかを出さないでいただきたい。できたらそういう服はもう着ないでほしい。際どいから気になるんだ」
「は……? 何だって? 腹?」
 ジュダルは口を開け放ったまましばらく白龍のまじめくさった顔を見つめていた。
「分かっていただけたか」
「いや、うん、分かったけどよ……」
 それ以外に言いようがない。白龍は「仕方がないな」とでも言いたげなため息をつき、奥へ引っ込んで自分の服を持ってきた。布の面積がほとんどないジュダルの服の上から、複雑な構造の服を着せていく。袖を通し、襟を合わせ、腹にきつく帯のようなものを巻き付ける。
「これでいい。これなら俺の近くにいられてもお前が他の誰かといても、もう気にならない」
 そう言ってにっこりと笑った直後、白龍はいきなり後ろに倒れた。死んだのかと思ったが、幸せそうな顔をしたまま気絶しているだけだ。
 ジュダルは倒れた白龍の小指からそっと指輪を外してみた。すると白龍はいきなり苦しげな表情になり、両腕で自分の赤い顔を隠してうなった。このおかしな振る舞いはやはり呪いのせいなのだろう。その証拠に、白龍も紅覇と同じく丸三日寝込んで自分の寝所にこもったまま、誰とも顔を合わさなかった。





「神官殿のおかげで紅覇も元気になりました。お礼をしなければ」
「あいつが勝手に元気になったんだろ。別になんもしてねーよ」
 紅明は羽扇をぱたぱたさせながら「そうですか?」と首を傾げている。白龍が倒れたすぐ後、紅覇は自力で起き上がって即座に日常生活戦線に復帰したらしい。驚いた紅明が倒れたときの経緯を覚えているかと聞いたら「はあ? 何言ってんの? 全然覚えてないけど? いっとくけど僕があのとき何言ってもそんなの全部指輪の呪いのせいだしい、僕とは何の関係もないんだからね。蒸し返さないでよね。明兄があのムカつく指輪処分しといてよ」とすさまじい剣幕で告げるのみで後は何も答えなかったという。
「どちらにしろどんな呪いがかけられていたのかを解明されたのでしょう? さすが神官殿です」
「ふん、まーな。すげーだろ」
 数日前と同じく二人で池のほとりに立っているが、紅明はもう池の水面を見てはいない。あれは呪いのせいで言わされた言葉だったのだから、お互いもう気にする必要はないのだ。
「それで、どういった呪いだったのですか。紅覇をあんなに動揺させるとは」
「うーん……」
「おや、口にするのもはばかられるようなものですか?」
「お前も紅炎とか紅覇の前ではめてみりゃ分かるんじゃねーの。おもしれーからやってみろよ」
「自ら呪いにかかれとおっしゃるのか」
「大丈夫だって、たいして害はねーよ。これだけは保証してやる。ただちょこっと恥ずかしくて寝込むくらいなもんだし、お前ならもしかしたら寝込まずにすむかもな」
 ぎゃはは、とジュダルは笑い、指輪を紅明の手に押しつけた。素直に言ったって全然構わないのだが、呪いの「内容」を紅明に教えたら紅覇に手ひどく仕返しされる。紅明は不思議そうに指輪とジュダルを交互に眺めていたが、やがて「なるほど」と得心したようにつぶやいた。
「己の魔法への耐性を知るための指輪ですか。なんと興味深い。後で早速試してみるとしましょう」
「あー……まあいっか。そういうことにしといてやるよ」
「ところで神官殿、その奇怪な格好はいったいどうなされたのですか。何やら、あたたかそうな」
 紅明は羽扇でジュダルの体を指す。着ているものはいつもの服なのだが、上半身が適当な布でぐるぐる巻きになっている。
「何でもねーよ。さみーだけだよ」
「はあ、そうですか。何か心境の変化がおありなのかと」
 ジュダルは笑って「ねーよそんなもん」と答えた。
 あの後、白龍は紅覇と同じく三日ほど寝込んだ。白瑛が訪ねていっても扉を開けず、ほとんど食事も取らなかったらしい。ジュダルは面倒に巻き込まれるのがイヤなので押し入るのはやめ、白龍が自発的に出てきてから顔を合わせた。白龍はたったの三日ですっかり痩せこけ、全身から漂わせている恨みがましさの空気が通常の三倍近くにまでなっていた。そして紅覇とまったく同じことを言った。「言っておくが先日のことは全然覚えていません。俺があのとき何言ったかは知りませんがそういったものはすべて指輪の呪いのせいであって俺とは何の関係もないのでくれぐれも蒸し返さないでいただきたい。それとあの指輪は壊した方がいいと思いますが?」。
「あの指輪」がどんな災いをもたらしたかというと、ジュダルにはバカらしいとしか思えないが白龍のような人間には最低最悪の種類のものだったらしく、それはすなわち「目の前にいる人間に普段言いたくても言えないことを赤裸々に言ってしまう」呪いだったのだ。元々どんな目的で使われていたのかは知らないが、ウソを見抜くためには効果的だろう。しかし言いたくないことを言ってしまうというのは不都合があるらしく、はめた人間たちが次々に「これは別に自分の本心ではなくて指輪の呪いのせいだ。この指輪はおそろしい呪いの指輪だ」と吹聴し続けた結果がこうなった。
 紅覇には思い切り効いただろうが、白龍に「呪い」は効かなかった、とジュダルは思う。指輪をはめたって白龍は別にいつもと変わらなかったからだ。昔からずっとああだった。甘ったれてひがんでとんでもないことを叫んで泣いていた。しかし「よかったじゃねーか。いつもと同じだし恥ずかしくなかっただろラッキーだな」と素直に白龍に言ったら「突き殺されたいんですか?」とにらまれた。
 それにしても言った本人を三日寝込ませるほど言いたかった恥ずかしいことが「腹を隠せ」であることに少々脱力したジュダルだが、こうやってごくたまに布をかぶってやっている。正直動きにくいし暑苦しいし面倒だからすぐ剥ぎたくなるけれど、特別に我慢してやっている。唯一無二の自分がこれだけ凡庸に振舞ってやってるんだから、少しは感謝してほしいと思う。

2012.10.17
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